本邦産業施設における火災等事故への考察
記事情報と共有オプション
近時、日本においては専ら自然災害による被害が耳目を集めているが、人災に起因した産業施設における火災等事故も一定の頻度で発生しており、大規模な損害に至る事案も決して少なくはない。個別の事故はそれぞれ固有の原因によるものの、それらを引きおこす何らかの共通した根本原因が考えられるのかを考察するために、専門家からのヒアリングや関連資料等を講究した。
1.事故件数の推移
消防庁の統計によれば、近年の事故件数は、平成6年(1994年)から増加に転じ、平成19年(2007年)以降は高い水準で横ばいの状況が続いている。平成元年(1989年)以降事故が最も少なかった平成6年(1994年)と令和2年(2020年)を比べると、危険物施設数は約29%減少しているにもかかわらず事故件数は約2倍に増加しており、事故の発生状況は過去最多となった平成30年(2018年)から減少したものの、引き続き高い水準で推移している。(図1)
図1 危険物施設における火災・流出事故発生件数及び危険物施設数の推移
出典:消防庁 危険物保安室「令和2年中の危険物に係る事故の概要」
2.発生要因
消防庁は事故の発生要因についても集計、報告しており、それによれば2020年中の火災事故における人的要因が57%で、物的要因28%、その他の要因15%を上回る。また、この要因比率については消防庁のデータが公表されている平成元年から、常に人的要因が物的要因を上回っている。
3.社会的背景
今回ヒアリングを行った学識経験者によれば、事故の件数が把握可能である1960年代中盤から、発生件数の傾向を基に、大きく四つの時代に分けることができ、その社会的背景、製造業を取り巻く環境に強く影響されていることが分かる。(図1および図2)
- 第一の時代-1965年頃から1980年頃 ― 事故件数増加
高度成長期と重なる。大量消費に伴い、産業施設(危険物施設)も増加。過酷な操業により予期せぬ技術的欠陥に起因する事故が多発。
- 第二の時代-1980年頃から1994年 ― 事故件数減少
第二次オイルショック以降、バブル経済崩壊までの安定成長に移行した時代。産業施設(危険物施設)の事故は減少。一つの要因として、「現場力」による安全対策の浸透があげられ、日本型の雇用環境による企業への強固な帰属意識が下支え。
- 第三の時代-1995年から2006年 ― 事故件数増加
第二の時代での事故件数の減少に伴い、経験も減少。また、バブル経済崩壊後と重なり、経費削減等が安全対策や雇用、引いては企業への帰属意識の希薄化にも影響したのではないか。
- 第四の時代-2007年以降 ― 事故件数増加
問題点は第三の時代と根本的に変わってはおらず、むしろ悪化、固定している可能性もある。すなわち、危険物施設の老朽化が進み、事故が起こりやすくなっていること、団塊世代の退職による安全ノウハウの断絶の問題(2007年問題)、非正規雇用者の急増など。
これを裏付けるかのように、2010年前後に、石油化学業界で4つの大きな事故が発生。いずれの事故においても、直接原因のみならず、安全文化面に係る事故原因についても焦点があたった。
図2 危険物事故件数(地震によるものを除く)の推移(昭和37年~平成19年)
出典:Safety & Tomorrow No.121 「危険物事故の激増を考える 小林恭一」
4.ソフトファクターとハードファクター
近時の事故を子細に見るに、以下のようなソフト(ヒューマン)ファクター、ハードファクターが露呈してくる。
- ソフトファクター
- 現場力の低下
日本製造業の競争力の源泉であったベビーブーム世代に支えられた現場力は、これらの世代の定年退職(2007年問題)により低下の一途をたどることとなる。また、折からの経済の停滞による日本型経営の陰りにより、コストへのプレッシャーが高まる中、人手不足の深刻化、雇用形態の非正規、臨時雇用等への多様化、製造プロセスの外部へのアウトソース等、技術伝承を阻む環境も重なった。さらに、経営層もこれらの事態に対して、適時適切な対応が取れていなかった。
- 現場力の低下
- ハードファクター
- リスク評価に関する日本企業の姿勢
例えば、消防法、建築基準法等の規制は最低限の基準を示したものであり、必要な対策は企業独自のリスク評価によってなされるべきものと行政側はしている一方、規制を満たせば対策は十分と考えている企業が多いのではないだろうか。一例ではあるが、スプリンクラーを備えている工場が多くはないことがこれを裏付けている。
- 老朽化
設備投資に積極的ではないと思われることは、設備・機械の高経年化を示す各種統計からも見て取れる。行政が主導するスマート保安やスーパー認定事業所制度が設備の高経年化に対応すべく進められていることからも、広く危機感を持たれているものである。
- リスク評価に関する日本企業の姿勢
5.安全のための取り組みと今後の見通し
産業界、行政において、安全文化醸成のための取り組みは様々行われている。過去に大きな事故を経験した石油化学産業は、経済産業省からの提言も踏まえ、産業保安に関する行動計画を2013年に策定し、取り組みを継続している。
行政においては、消防庁が広く業界団体と連絡会を設置し、事故防止に取り組んでいる。また、既述の通り、経済産業省はスマート保安やスーパー認定事業所制度を通じて保安力の向上を推し進めている。
2010年前後に重大事故を経験した石油化学業界においては、前述のような取り組みが功を奏しているのか、その後大きな事故は発生していない。もっとも、他業種においては未だ大規模な事故は散見される。安全文化醸成の取り組みが全業種に浸透し、かつてのような安定した状況を取り戻せるかとの問いに、ヒアリングを行った専門家は決して楽観的には考えていない。
6.結び
現場力による世界一の安全性を実現していた仕組みが劣化してしまった現在、欧米的な安全への考え方を積極的に導入せざるを得ないのではないか。すなわち徹底したハードウェア(設備・機械)のリスクアセスメントを行い、できるかぎりこれらのリスクを低減する。それでも残留リスクはあり、それを開示し、どのように許容するか判断することが重要。一方、現場力が低下したとはいえ、今もなお協調性、勤勉性を旨とする風土は多くの現場に残っており、ボトムアップでのKYT(危険予知訓練)や5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)といった日常的に行われる安全衛生活動に日本の強みを見出すことはできる。これら依然として日本が有する優位な点が欧米型のハードを主体とした安全対策と相まったハイブリッドモデルは、現時点で考え得る最適な方策の1つと考えられる。
もっとも、前提となる機械・設備の安全化を進めるには、事業会社にとって当然コストの問題は無視できない。日本経済の中長期的な成長が想像しにくいことで、企業は内部留保を蓄積する動きを強め、2020年度は約484兆円と9年連続で過去最高を記録した。残念ながら、設備投資や人件費の抑制がこれに大きく寄与していると言われている。
今回ヒアリングを行った学識経験者からは、このような難しい状況を打破するべく、損害保険業界にも期待をしているといった声も聞かれた。すなわち、引き受けに際しての安全対策への強い働きかけなど。保険業界としてこれらの問題点を再認識し、日本の産業にどのような貢献ができるのか、積極的な検討が始まることを切に願うとともに、当社もパートナーたる元受損害保険会社と共に取り組んでまいりたい。